カテゴリー

 

 

フラクタルアーカイブ

著作物とは

著作権問題は新しい法分野

 

著作権分野は比較的新しい法分野であり、また、法律の定義を判例で補う部分も大きいため、著作権を取り扱う際には、はっきりとしない難しい問題が多いです。そこで、よくある質問について回答しながら、著作権にまつわる法律問題について、分かりやすく解説します。
分かりやすく解説することを重視するため、細かい点はあえて誤解を招く表現になることはあらかじめご容赦ください。また、記載内容の正確性については、責任を負いませんので、ご了承ください。

 

○○は著作権の対象になりますか。

 

よくあるのがこの質問です。台詞、歌詞、小説の一部分、ギャグ、説明書などが問題になります。判例の中には、交通標語や雑誌の最終号の挨拶などが問題になったものもあります。

 

著作権の対象になるのは、著作物です。そして、著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」(2条1項)とされています。 わかりやすく分析すると、以下のようになります。

思想又は感情の要件

 

この要件は、単なるデータや事実の摘示はのぞくという意味です。

 

具体例)昨日のプロ野球の観客動員数は○人でした。○○年にAさんが生まれました。
これらには思想又は感情が表現されていません。

 

例外
ただし、データや事実の摘示であっても、著作者の思想や感情がそこに表現されている場合は、「思想又は感情」に該当します。

 

具体例)ハローページは、電話番号のデータの摘示に過ぎませんが、タウンページはその見せ方に精神的な活動が見られるので、著作物とされています(NTTタウンページデータベース事件)。また、歴史小説も歴史的事実の切り取り方や表現に作者の思想又は感情が表現されているので、思想又は感情の要件を満たします。

創作性の要件

 

この要件は、他人の模倣ではなく、オリジナリティーがあるかという意味です。

 

具体例)いわゆる「完コピ」、模写、一般的な言葉。これらには創作性がありません。一般的な言葉の例で言えば、「桜」という歌のタイトルはいっぱいありますが、これは「桜」という言葉が一般的な言葉であり、タイトルに著作権が無いからです。

 

創作性が認められるのはどのような物か。
著作物と言われるには創作性が必要ですが、それでは、逆に、「今まで誰も考えなかった物」であれば、何でも創作性が認められるのでしょうか。

 

これで問題になるのが、商品の名前、楽曲のタイトル等です。

 

「ウォークマン」という商品があります。そして、ウォークマンが発表された当時はウォークマンという言葉はありませんでした。しかし、「ウォークマン」という言葉には創作性が無く、著作権は発生しないとされています。

 

その理由は、「ウォーク」という単語と、「マン」という単語とを組み合わせただけでは、その組み合わせに創作性を認める程度のオリジナリティーが無いと考えられるからです。商品名や曲のタイトルになる文言には、基本的に創作性が認められる事は難しいでしょう。ただし、著作権以外の法律(商標法や不正競争防止法)で保護される可能性はあります。
同じように、短くありふれた挨拶文(東京地裁H7.12.18)や、選択の幅の小さなコンピュータープログラム(東京地裁H13.5.30、ただし同一性については否定し、原告の請求を棄却)、創作性を認めるかについては、明確な基準は見られず、その単語を独占的に利用させるべきかという点も含めて実質的な判断がされているといえるでしょう。

表現の要件

 

この要件は、頭の中にあるだけの場合や、表現した物の背景にあるアイディアやコンセプトといった物は著作物として保護されないという意味です。

 

具体例)まだ表現はしていないが頭の中には明確にある文章、推理小説のトリックのアイディアのみ。
表現していなければどれだけ頭の中に明確にあっても保護されませんし、推理小説のトリックの段階では、それを推理小説として表現したことにはならないので、まだ表現されたとは言えません。
有名なネズミのキャラクターをそのまま使えば著作権違反ですが、ネズミのキャラクターが不思議の国を冒険したりするという物語を形成しても、アイディアの借用であり、著作権法違反にはなりません。

 

補足)ただし、表現さえされていれば、世間に広く発表されている必要もなく、また、紙やデータという形で固定化されている必要はありません。例えば、自分で作曲した曲を町中で急に大声で歌っても表現したことになります。

文芸・学術・美術又は音楽の範囲に属するもの

 

この要件は、それほど意味のある要件ではありません。ただ、これらに該当しない著作物と思われる表現物について、著作物となるかが問題になることがあります。また、量販家具については、著作物ではなく、意匠法で保護されるとされています。その結果、保護期間が短くなっています。

 

具体例)ゲームソフトは、映画として著作物とした判例があります(最高裁H14.4.25)

 

具体的検討(以下は、現時点での当事務所の見解であり、正確性や、今後の判例法理の変更等によって生じた損害については、保障されないことを予めご了承ください)

 

台詞は著作物となるのか

 

作品の台詞全体で考えたら、当然著作物ですが、その一部分のみを切り取った場合では著作物となるでしょうか。
問題となるのは「創作性」の要件ですが、認められることは少ないと言えます。

 

なぜなら、台詞自体通常の用語の組み合わせであることから、「ウォークマン」同様、創作性を満たすことは出来ないと考えられるからです。
なお、この結論に疑問が生じる原因としては、台詞が、そもそも全体としての著作物(小説、漫画、ドラマ等)の一部分であり、それだけで著作物として認められるための創作性を満たすことが少ないのに、その台詞を見た人は、著作物全体を想起することが多いからだと思います。

 

具体的に考えてみましょう。

 

例えば、「俺は海賊王になる男だ」という台詞を使ってTシャツを作って販売するとします。なお、イラストは無く、文字だけの記載であり、文字も漫画に記載されたフォントをコピーした物ではなく、一般的なフォントであること、このTシャツの販売は初めて行われるものだということを前提にします。

 

この台詞に著作権が認められるかは、「俺は海賊王になる男だ」という台詞自体に創作性が認められるかによることになります。

 

では、創作性が認められるでしょうか。

 

「俺は海賊王になる男だ」という台詞から通常想起されるワンピースの漫画全体を思い起こしてストーリーとともに考えれば、創作性が認められるだけのオリジナリティーがあるとは思いますが、あくまで「俺は海賊王になる男だ」という、Tシャツに書かれている文字部分のみを取り出して考えれば、「俺は○○になる男だ」というのは普遍的にある言葉ですし、「海賊王」という点も、今の日本では珍しいし、なることが犯罪じゃないかという問題はありますが、「海賊王」という言葉も新しく作成された言葉ではなく「ウォークマン」同様、「海賊」と「王」とを組み合わせた言葉であり、創作性が認められるだけのオリジナリティは無いと考えられます。

 

よって、「俺は海賊王になる男だ」という台詞だけでは創作性を満たさず、著作権の対象とはならない可能性が高いでしょう。

 

ただし、このTシャツを無許可で作って販売することが、倫理的に許されるのかという問題とは切り離した、あくまで法的評価に限定した話です。
そして、法的に許されているから何をやっても良いという問題でも無い事も当然です。

 

一時問題になった、松本零士さんと、槇原敬之さんとの盗作騒動ですが、この騒動でも、盗作と言えるかという点とは別に、松本零士さんの「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」との一節に著作権が認められるかという点も問題になります。

 

時間と夢とが裏切ったり裏切られたりする関係にあることや、裏切ってよいかどうかという点に焦点を当てた一節というのは、松本零士さん独特の表現で、創作性が認められるだけのオリジナリティーがあると言えそうです。
しかしその一方で、これに著作権を認めた場合、松本零士さんに独占的にこの一節の使用を許すことになり、類似の表現も含めて他者が利用できなくなる事、夢、時間、裏切りという言葉に分解すれば一般的な言葉であることを考慮すると、創作性が認められると断言する事は難しいです。最終的には司法判断にゆだねられますが、司法判断の前に断言する事は難しいでしょう。

 

ただしこれも、先ほどのTシャツの問題と同じように、人道的にそれをやってよいかどうかという問題とは切り離した、あくまで法的評価に限定した話です。
そして、法的に許されているから何をやっても良いという問題でも無い事も当然です。

歌詞は著作物となるか

 

もちろん楽曲の歌詞全体は著作物ですが、歌詞の一部分を切り取った場合でも著作物となるのでしょうか。

 

一時期、Twitterで歌詞をつぶやくと使用料を請求するとJASRACが見解を発表して話題になったのがこの問題です。

 

非常に微妙な問題ですが、これも台詞の問題と同じように、その一部分に創作性が認められて著作物と言えるかによります。

 

なぜ微妙な問題となるかについては、著作物だと認めれば、その後その歌詞を独占的に利用する事を認めることになり、かえって文化の発展が阻害されてしまう一方で、全く著作物だと認めないのであれば、歌詞全体の著作権者の権利を不当に侵害することになるからです。
よって、おそらく今後、新たな立法がなされない限り、ケースバイケースの判例が形成され、どのような具体例も前もって判断することは難しい状況が続くでしょう。

 

具体的に考えてみましょう。

 

「I miss you 許されることならば、抱きしめていたいのさ、光の午後も星の夜も」という歌詞がある久保田利伸さんの「missing」という名曲があります。これを題材に考えてみます(学術研究目的のために引用させていただきます。)。

 

「I miss you」、「許されることならば」、「抱きしめていたいのさ」という歌詞の部分を切り取って、その部分のみ他の楽曲の歌詞に利用したとしても、著作権侵害とならない=創作性が認められないでしょう。 どのフレーズも一般的に利用されている言葉だからです。実際にも、これらの言葉を歌詞にした曲はたくさん存在しています。

 

その逆に、「I miss you 許されることならば抱きしめていたいの、光の午後も星の夜も」という歌詞全体を他の楽曲に利用する場合には、微妙だと思います。著作権侵害になり得るとも思います。なぜなら、一部分毎に切り取った場合とは異なり、歌詞上の言葉の配列に著作者のオリジナリティーが認められ、創作性が認められる可能性があるからです。よって、これをそのまま他の楽曲に利用すると、著作権侵害になる可能性はあります。

 

どの部分まで切り取って使ったら著作権侵害にならないのか、逆にどの部分まで一括して利用すると著作権侵害になるのかについてはケースバイケースですが、使用されている言葉が独特でオリジナリティーがあればあるほど、一部分での切り取りでも創作性が認められ、著作権侵害が認められることになる関係にはあると思われます。

小説の一部分は著作物となるか

 

小説作品全体は当然著作物になりますが、その一部分はどうでしょうか。
もちろん一部分と言っても、長編小説の一つの章をまるまる切り取ったらその部分はもちろん著作物ですから著作権侵害になることは当然です。

 

それでは、小説の一節を切り取っただけの場合はどうなるでしょうか。この問題も、切り取られた一節のみで創作性が認められるかという問題です。

 

具体的に考えてみましょう。

 

「国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国であった。夜の底が白くなった。」という、川端康成の「雪国」の有名な書き出しがあります。これをそのまま自分の小説に利用した場合に、著作権侵害となるでしょうか。

 

まず、「国境の長いトンネルを抜けると」、「そこは雪国であった」については、それぞれの部分のみ自分の小説に利用したとしても、著作権侵害とならない=創作性が認められないでしょう。なぜなら、「国境の長いトンネルを抜けると」も、「そこは雪国であった」も、それぞれ一般的な言葉だからです。そして、それをつなぎ合わせて利用した場合も、国境の長いトンネルを抜けたらその先が雪国であることも一般的にはあるとはいえ、この川端康成の独特の感性による創作性を認める程度にオリジナリティーがあるとは評価出来ないからです。

 

しかし、「国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国であった。夜の底が白くなった。」という、全体をそのまま自分の小説に利用した場合には、おそらく著作権侵害とされる=創作性が認められると考えます。

 

このあたりは本当に微妙なので、私見に過ぎないことを予めご了承いただきたいのですが、「夜の底が白くなった」という部分は、それ以前の文章と相まって、長いトンネルや夜の「黒さ」が、トンネルを抜けた瞬間に底から白くなったという場面転換を短い表現で一瞬に表現していること、そして、夜に底や天井という概念を用いたこと等が、一般的ではなく、創作性を認められる部分であると考えられるからです。このように考えると、判断をする裁判官が、文学的表現に疎ければ疎いほど「これは独創的だ」と驚いて創作性を認めやすい傾向にあるのかと考えたりもしますが、それは単に私に文才が無いからでしょう。

 

もちろん上記は私見で、司法判断も無い物であります。ここでは、創作性の要件として、一般的な表現なのか、それとも著作者独自の創作性が表現されているかが判断されると理解していただければ結構です。